僕は四分の一日本人“番外編”  MTW004/2003/February
 暮からお正月にかけて忙しくしていた妹より、ようやく寒中見舞ということで電話が入った。もう日本では水仙や梅を楽しんでいるという。
「あぁ、あの梅の甘い香り・・・・」懐かしい日本の風情が目に浮かぶ。お茶室のほの暗い贅沢の中にさり気なくいけ込まれた名もない花などの「侘び・寂」を思う。やはり私は日本人なのだ。
 ここベルリンのプラタナスや栗などの大木もすっかり葉を落とし、グレーの空間におばけのような黒々とした影を広げている。
“僕は四分の一日本人”に大晦日の様子を書きかけ忙しさにまぎれて時期を逸してしまったが、それをFAXしてくれるようにということで整えてみた。

 昔の日本の我が家は、お煮〆めの香りとグツグツという音を感じながら、湯気一杯のなかで塵一つ残さぬよう掃除をしながら、除夜の鐘の音を聞いたものだが、ヨーロッパの大晦日は馬鹿気るほどの工夫をそれぞれが凝らし、カウントダウンから始まり夜中の12時、時計の針が重なると同時〈決して1秒でも遅れないようキッカリに〉シャンペンのあの独特の音とともに、過ぎたものには一切こだわらず新しい年を迎える。
 フィルハーモニーのジルベスターコンサート(大晦日コンサート)やオペラを観賞したあとのイブニングドレスやスモーキングのまま、ひょうきんな鼻をつけたり、マスクをしたり、より一層楽しさを盛り上げるのだ。
 教会の鐘が鳴り響き、家々の窓からは音楽が流れ、各家のバルコニーというバルコニーからは悪魔払いの花火が打ち上げられ、パーン!という音とともに赤青緑の光の玉が砕けて、目の奥に各々の余韻を残し滝のような線を引く。愛し合う者同士抱き合い、そして朝まで踊る。

 留学して初めての大晦日は、クリスマスに招いていただいたビゼメス家(バイオリンを専攻しているアンドレアスの家)で過ごした。>>長男であるマルティン・ビゼメスが現在生活を共にする我が夫であり、ルカスは私達の孫である<<
 翌2日にもマルティンはハンブルグに帰る前にもう一度私を訪ねると云っていた。私は軽くOKをしたものの、あまりにも早急な彼の気持ちに不安を感じ、意識して約束の時間に寮を留守にした。1時間はとうに過ぎて戻ってみると、私の部屋の前には、赤いバラを1本手にした彼が立っているではないか!・・・・。
 35年経った今も週末毎にバラの花束は贈られ、ベルリンの我が家はいろいろなリボンに結ばれたドライフラワーが飾られ過ぎた日々を思い出させる。そのたくさんのドライフラワーを見て私達のルカスは、いろいろと気付いて聞いてくる。
 彼ルカスの口癖は「僕の子供にとっておく」である。そんな細々したもので彼の引き出しは一杯になっている。>>私の祖母の生き方ではあったが、私がそんな風にしているのかしら?<<
 今年は娘の詩(Uta)、9才になった孫のルカスと共に花火を打ち上げシャンペンをあけた。彼が7才の時ついに初めて夜中の12時まで起きていることができ、大得意になっていたことを思い出す。

「新年おめでとう!今年は10才になるから日本に行きたい!!日本のみんなにとっても良い年になるように!!」とアップルジュースの杯を上げた。
 あぁ、もうすぐ春だ。間もなく公園の芝に雪割草や、黄色や紫色のクロッカスが顔を出す。そして復活祭がやってくる。
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